死ぬかと思った日記

これは出産前後の死ぬかと思った日記です。
子供が一歳になったので慌てて書きました。

昨年出産したのですが、人生初の入院、人生初の点滴、人生初の車椅子を体験しました。
死ぬかと思ったけど死にませんでした。
死ぬほど痛かったけど結構面白かった。
一度は経験してみたいと思っていて、あと一度は経験してみたいと思っています。
産後一か月は全身がものすごく痛くてこのまま治らないのでは死ぬのではと思ったので産後の回復を考えると次回は無痛分娩希望だけど、産んだ産院では無痛分娩を扱っていないので次回があれば恐らく次回も自然分娩で産むと思います。

出産直前の経過ですが、まず、予定日直前の健診で赤子が全然下がっていないので、先生ですらまだ全然生まれると思っておらず、予定日の二日後に次回の健診日を指定されていたのですが、予定日の翌日に生まれました。
私がこの日に生まれたらいいな〜と思っていた日に生まれたので、胎児は賢い。
夫も休みだったので、陣痛が始まってから入院して出産するまでずっと付き添ってもらえました。
先生に「下がってないって、あと何 cm 下がればいいんですか?」と聞いたら「何 cm とかではない」と言われたので「下がる」の概念はわからずじまいです。子宮頸管の長さとは別らしい。

予定日の夜から「なんか痛い」と思ったら日付が変わる頃からは周期的な痛みで「これは陣痛では」レベルになり、 10〜15 分間隔で痛むので一睡もできず、10 分を切ったので明け方に産院へ電話してみると 5 分間隔になったら来るように言われ、その後眠すぎて痛すぎて疲れすぎてか陣痛の間隔が 30 分〜1 時間半くらいまでまばらに開いてしまうが痛みは強くなり、うとうとしては激痛で起きるという地獄が続き、昼頃に再度産院へ電話して陣痛の間隔が開いたことを伝えると「前駆陣痛だったのかもね」と言われ、「これが前駆陣痛なら本物の陣痛で死ぬ」と思った。
しかし二度目の電話の後にいきなり 15 分間隔に戻り、胎児が本気出してきた、と思ったし夕方頃には 10 分を切ったけどそのままだらだら同じペースが続き、また遠退くのではと思っていたら 19 時台にいきなり 5 分間隔になったので三度目の電話をして入院することになり、急いでシャワーを浴びていたら風呂でもビッグウェーブが来て死ぬかと思った。夫が何か食べたほうがいいと言うので夫お手製のいくらの醤油漬けごはんを食べて、タクシーを呼んで、19 時台はがんがん陣痛が進んで、タクシーの中でも何度かビッグウェーブが来て、なんとかかんとか 20 時前後に入院したのだと思う。

入院してすぐの内診で、
助産師「すごいもうだいぶ開いてますね〜」
私「五分間隔になるまで家で我慢していたので」
助産師「これは二人目はもう少し早く来たほうがいいね」
私「(前駆陣痛じゃねーのって言われたのに・・・そもそもこれから一人目なんだけど・・・)あとどれくらいかかるんですか」
助産師「こんなに開いてるからすぐだと思うよ二時間くらいかな」
私「そんなにかかるの!?死ぬ」(実際には一時間半くらいだった)
という会話をした。

入院すると陣痛室では仰向けに寝かされて腹に胎児の心音と陣痛の強さを測るモニターを付けられるんですけど、おい、常識的に考えてこんな体勢で陣痛の波が来ても痛みを逃せるわけないだろ!!!床にうずくまって丸まって腹をがしがしさすって腰をごりごりさすってもらわないと全然痛みを逃せないんですけど!?うおーもう駄目だ家で我慢していなかったら陣痛室で死んでいた、と思った。

入院してすぐ破水したので、あと三十分遅かったら自宅かタクシーで破水していたと思う。
破水とは、ブツッと何か(卵膜)が弾けて破れる感覚がして(実際に弾けて破れている)、ブシャーと何か(羊水)が流れ出る感覚がする(実際に流れ出ている)というものでした。
「あ、破水した。今、破水しました」と助産師に報告したら助産師に「えっ」と言われた。

陣痛室では夫も一緒で、陣痛の合間に
私「陣痛の波が来てるときは正気を失ってるように見えて怖いかもしれないけど、死ぬほど痛いだけだから。正気だから」
夫「うん、うん」
という会話をしたことを覚えているけど、正気じゃないね。
正気だけど、正気ではない。

入院して三十分くらいして、
助産師「もう一度見ますね。あ、もう全開だ。分娩室へ移動しましょう。先生にも連絡して」ということになり、分娩室へ移動した。

助産師「足をここに置いて」
私「これ(足置き)もっと下げて〜〜〜角度変えられないの?こんな足の位置では産めない」
という会話をしたのを覚えており、そうこうしているうちにお医者が現れた。

助産師「立ち合い希望でしたよね。もう旦那さんに入ってもらいましょうか」
先生「まだ早いんじゃない」(その後すぐ生まれた)

分娩台でのクライマックスシリーズ

助産師「ほらもう頭が見えてるから」
私「(えっまじで!?)見たい〜」
見せてもらう
私「見えた〜」
助産師 B 「見たいなんて言うひと初めてだわ」

私「もういきんでいいの!?」
助産師「いいよ!」
私(いきんでいいなら早く言ってくれ!!!)
確か二回くらいいきんで生まれた。
感動というか、わ〜!と思った。
いきんでいいタイミングがわからないから、いきんでよくなったらすぐに教えてほしい。

助産師「冷静だね〜普通指示しても全然聞かないのに上手」「ものすごい安産」
私「いやめっちゃ痛いし死ぬかと思った」

子は小さいのにめっちゃ裂けてめっちゃ縫った。何針縫われたかわからない、何十針レベルです。この子のサイズでここまで裂けるのは珍しい、皮膚が柔らかいからで体質でしょう、と言われた。
縫合どのくらいかかるんですかと聞いたら三十分くらいと言われたけど実際には一時間かかって先生も「三十分どころか一時間かかりましたね」と言っていた。

縫合中に、
助産師「分娩に時間がかかっていないから頭の形がきれい」
私「よかった〜私が絶壁だから頭の形をよくしてやりたい」
先生「絶壁とかは遺伝が大きいから」
助産師「先生は頭の形きれいですよね〜親御さんが気を遣ったんですね」
先生「親は病院をやっていたから構ってもらっていない」
という会話をした。
頭の形は遺伝で決まるそうです。

助産師がさっさと胎盤を運んでいくので
私「ちょっと待って胎盤見たいです」
助産師「えっ見るの?」
見せてもらう
私「おお(レバーみたい)、重さどれくらいですか?」
助産師「これから計るところです」
結局重さを教えてもらっていないし臍の緒を見るのも忘れた。臍の緒の長さとかも知りたかったのに。
次回はもっとちゃんと見たいです。

要約すると、予定日前後に生まれる気配は全然なかったのに予定日に産気付いてほぼ丸一日陣痛に苦しんでから入院して、三十分で分娩室へ移動して分娩室へ移動してから一時間で予定日の次の日に生まれて、胎盤とか臍の緒とか出してから一時間くらい縫って二時間分娩台で休んでから人生初の車椅子で個室へ移動、という流れでした。

つわりが長くて苦しんだけど耐えれば終わったし、陣痛とか分娩時の痛みはそりゃ死ぬかと思ったけど一日で終わったし、本当の地獄はぼろぼろの体(産後三日目から全身筋肉痛で体が鉛のように重く寝返りさえ打てず苦しんだ)で訳もわからずひっきりなしの赤子の世話が始まってからが本番であった、育児を一言で言うと「こんなにかわいいのにこんなにつらい」というのが感想で、とにかく赤子が無事に一歳になってよかった、以上が死ぬかと思った日記でした。

 

 

 



平成 29 年 10 月 10 日
職務経歴エンタテインメント株式会社
代表取締役事務 樹木希F